小郡市松﨑宿に残る薩摩街道をたどる。旧松崎旅籠油屋、霊鷲寺から七夕神社へふらり気ままに小郡
江戸時代、薩摩街道の宿場町として栄えた松崎宿は、福岡県小郡市松崎に現存する宿場跡です。
山家宿から鹿児島まで続く薩摩街道や英彦山へつづく彦山道が経由していたため、旅人でにぎわった宿場町でした。九州の大名である薩摩藩・人吉藩・熊本藩なども、この街道を通って江戸へ向かっていたのです。
松崎宿には、大名などが泊まる御茶屋(本陣)や二十数軒の旅籠をはじめ、様々な商家が立ち並んでいました。宿場の南北両端には構口という石垣が築かれています。構口を宿場の中へ向かうと、道が直角に曲がる枡形道の名残も見られます。
宿場には大名などが泊まる御茶屋(本陣)や二十数軒の旅籠をはじめ、様々な商家が立ち並んでいました。今も町を歩けば、往時の面影を感じさせる町並みや寺社があちこちに残っています。
●旅の始まりは宿場の歴史を今に伝える「旧松崎旅籠油屋」
旧松崎旅籠油屋は、かつて大名や旅人たちが羽を休めた旅籠で、昭和の初めごろまで実際に旅籠として使われていました。格子窓や大階段など旅籠ならではの構造が見られ、座敷棟には門が構えられていることから、武士など身分の高い賓客が宿泊していたと考えられています。「油屋」と「中油屋」の2棟に分かれています。
「油屋」が建てられたのは江戸時代後期で、当時北部九州でも大型の旅籠建築であったと考えられています。造りは寄棟造草葺で、階高が高い2階建ての外観が特徴です。1階では荷馬が土間で荷の積み降ろしができるように天井を高く設けていました。
「中油屋」は小郡市教育委員会の調査により、嘉永2年(1849)と書かれた棟札が見つかっています。玄関の間・次の間・座敷の間の三室が、縦に並ぶ本格的座敷です。平成27年春に復原され公開されました。
館内には当時の客室や土間が復元され、宿場町の暮らしを身近に感じることができます。資料展示では、薩摩街道と松崎宿の歴史、人々の往来、旅文化なども紹介されています。
●大名さえ馬から降りひざまずいて拝んだお寺「霊鷲寺」
松崎藩の有馬豊範が1680年に三潴郡西牟田から移転したと言われるお寺。ご本尊は薬師如来であり、周囲には薬師町という通称地名があります。
静寂に包まれた100mの杉並木をくぐると2階建ての立派な楼門が迎えます。2014年に改修工事が完成しました。1階柱部分は新しいヒノキ材を使っているものの、棟木など多くの部分は改修前の材木をそのまま活用しています。
霊鷲寺は歴代天皇の勅願寺の寺格を有しているとされ、参勤交代で九州の大名島津家以下の諸大名や長崎奉行たちは、寺の前を通過するに当たってはかごや馬を降り、ひざまずいて拝んでから通過したと言われています。
霊鷲寺の南北には「下馬石」が置かれていました。これは「この先乗馬したままの通行を禁止します」という意味を持っています。(現在は一基のみ)
●宝満川は天の川。両岸に建つ「七夕神社」と「牽牛社」で夏のロマンを満喫
小郡市内を南北に流れる宝満川。西岸に織女神をまつる大崎の七夕神社、東岸に犬飼神をまつる稲吉の老松神社があります。
七夕神社には織女神(しょくじょしん)と媛社神が祭られていて大変歴史のある神社です。古来より織物が盛んだった小郡には棚機津女(たなはたつめ)という織物の女神を信仰する文化があって、これと中国から伝わった七夕伝説が混ざり、次第に七夕神社として親しまれるようになりました。
一方、対岸にある牽牛社は、七夕の故事にちなんで建てられたとされています。ご神体は犬飼神(牽牛・彦星)の木像。しかし水害などの理由によって大正12年に現在の老松神社に移されたと考えられているので、やはりどこかしらドラマを感じさせます。老松神社では菅原道真を描いた掛け軸が発見され話題になりました。
七夕といえば7月の七夕祭りですが、小郡の七夕祭りはなんと8月。七夕神社には全国から短冊が寄せられ、お祭りのとき焚き上げられます。毎年8月6日には子ども神輿、7日には獅子追いが街を巡る伝統行事が行われステージイベントや露店が並ぶ「夏まつり」でフィナーレを迎えます。
●ふらり気ままに小郡
小郡薩摩街道を巡る旅は、大分自動車「筑後小郡」I.Cを降りたらすぐ始められます。七夕神社へも4キロほどの距離です。ぜひふらりとお越しください。
| 会場 | 旧松崎 旅籠油屋 ほか https://kanko-ogori.net/aburaya/ 福岡県小郡市松崎786-1 甘木鉄道「松崎」駅より徒歩5分 大分自動車道「筑後小郡」ICより車で3分 ※Googleマップの仕様により場所名が異なって表示される可能性があります |
|---|---|
| 入場料/料金 |
無料 |
| お問い合わせ |
小郡市観光協会 TEL 0942-72-4008 / FAX 0942-80-0284 |



